ちなみに「中文字焼き」はありません
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ママ起業家の皆さん、こんにちは。

日本ママ起業家大学 理事
ママ起業家総研 主任研究員
トミタプロデュース 代表取締役

富田剛史(とみたつよし)です。

トミタプロデュース 代表プロフィール | トミタプロデュース株式会社 − メディア化のメソッド −

富田 剛史(とみた つよし)Different is better than betterトミタプロデュース株式会社 代表取締役メディア・プロデューサークリエイティブ・ディレクター経営戦略プラ…

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今日は「盆の送り火」。
ご先祖様が帰っていく日ですね〜。

昨日のマママガで、

僕は箱根の大文字焼きが大好きで、

でも今年は北九州にいるので

「小文字焼き」を見てみようと書きました。

でもね、調べてみたらなんと、

小文字焼きは13日に終わってました。

送り火ではなくて「迎え火」だった

ということ。へ〜。知らなんだ。

「小文字焼き」と聴いて、

何それ?冗談でしょ?と思った方、

冗談ではありません。

読み方はね、「こもんじやき」。

小倉には「小文字通り」という大通り
があって道路標識には漢字しかないから
僕は最初「こもじ通り」といって
地元のひとに笑われました。
知らんよね、そんなの〜。

さて「小文字焼き」の話です。

ネットで分かる情報によれば、

昭和23年に第3回国民体育大会、

いわゆる国体が福岡県で開催され、

それを記念して始まったらしい。

なるほど。

当時はまだ「北九州市」ではなく

この地は小倉市です。

また、昭和23年というのだから、

戦後間もないころですよね。

第3回というのは、1回、2回から

その後ずっと・・・になっていくのに

非常に重要な回なので、
いろんな人たちがそれなりに
気合いを入れていたのだろうと

想像できます。

春夏秋冬とそれぞれ大会があって、

小文字焼きが灯ったのは秋季大会の

開会の日なので10月29日です。

なので、小文字焼きは元々はお盆と

関係ありません。単に小倉の「小」を

山に灯して、国体スタートを盛り上げる

そういう企画だったらしい。

その光景がなかなか素敵だったのでしょう。

昭和23年の戦後間もない頃です。

翌年からは戦没者慰霊の意味を込めて

京都の大文字焼きの送り火が「大」なら

「小」の方は迎え火に・・・と誰かが

いったのでしょう。

盆の迎え火として8月13日に定着します。

そして、その光景の美しさに、

大正昭和の著名な画家吉田初三郎さんが

非常に感銘して絵を書いて、

当時の小倉市長に「小文字山」と

山の名まで命名して送ったらしい。

それで、気を良くしたのか、

小文字山がよく見える通りの名は

「小文字(こもんじ)通り」、

小文字山の麓の町名にも「小文字町」

と名付けてえらく昔からの行事のように

なったということです。

小倉や北九州に関係ないひとには

少々退屈だったかもしれませんが、

「企画」の好例と思ったので紹介しました。

コンテンツ企画のポイントは

・他にない独自性

・単純明快な面白さ

・ある程度潜在的なファンがいること

・そして、企画者の「想い」

そういう意味では、

小文字焼きは他に無かったし、

小倉だから「小」というのは明快だし、

そして「大文字焼き」のあの雰囲気が

好きな人は既に相当にいて、

それがピタッといい感じにはまったときに

企画というのは長続きするものになります。

単にモノマネでヒットを狙うとバッタもん

になりますが、何ごともゼロから企画が

できるわけではありません。

何かみたいな何かを発想しながら

「それは面白い!」という形にしつつ、

最終的には企画者の想いが乗ったところで

その企画自体が「メディア」となって

世の中にその「想い」を広げていく…

これがコンテンツなのですね。

たぶん今なら、北九州市として、
小倉だけの「小」は認められずに
「北」の文字を焼くことになって、
なんだかよく分からない企画になって
いたことでしょうね〜。たぶん。

「小文字焼き」は偶然成立した
ピタッとハマったいい企画だったわけです。

しかし、企画者や起業家はそれを
意図してやらねばなりません。

ぜひ参考にしてみてください。

ではまた!

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